福島被災地視察 花は咲けども春を喜ぶ人はなし

4月9日、震災と原発事故から7年を過ぎた福島県の被災地を、あらためて自分で確かめたいと考え、視察しました。(※主催:県母親大会連絡会)

好天に恵まれた朝早く水戸を出発し、常磐道でいわき市へ。ここから6号国道で、広野町~楢葉町~(福島第2原発)~富岡町~大熊町~(福島第1原発)~双葉町~浪江町まで行き、Uターンして茨城へ戻ったのは夜でした。

無人のまち 避難指示解除でもどったのは高齢者ばかり

案内役と現地説明者は、○丹治杉江さん(いわき市から群馬県前橋市に自主避難、原子力損害賠償群馬訴訟原告)○伊東達也さん(原発事故被害いわき市民訴訟原告団長、元福島県議)○早川篤雄さん(宝鏡寺30代住職、福島原発避難者訴訟原告団長)。

道中のバスのなかで、空間放射線量が一番高かったのは第1原発近くを通った時の3.1マイクロシーベルト。除染土や草木を入れた山積みの黒い袋は破れ、グリーンのシートで覆い隠されています。

「福島の復興がオリンピックに利用されている」との説明通り、事故収束作業の拠点だったJ‐ヴィレッジは、東京五輪日本代表の事前合宿地として整備進行中でした。

楢葉町・宝鏡寺 早川住職
「原発は何が何でも止めなくちゃならん」
「たとえ避難できたとしても もとの姿に戻ることはありえない」

最後に立ち寄った浪江町役場にあった広報誌には、2月末現在の町人口17,954人(住民登録数)のうち、実際に町で居住する人はわずか516人(2.9%)。

これに対し、浪江町から茨城県で避難生活を続けている人は1,004人にのぼります。事故から7年を経過し、茨城に家をもち、定住することを選択した人も少なくありません。それでも住民票を浪江町においているのは、地元からの情報を得たり、地元に土地や家が残されているためであり、故郷とのつながりを断つことはできないからだと思います。

心も体も生活もバラバラにされ、分断され続けてきた被害者にとって、どんな7年だったでしょう。
いま、茨城県と市町村は、東海第2原発の過酷事故を想定した避難計画を策定中ですが、「たとえ避難できたとしても、もとの暮らしに戻れない。もとの姿に戻ることはありえない」という早川さんの言葉こそ真実です。

2018年3月の県議会予算特別委員会で山中たい子議員が使用したパネル

新安全協定の締結で水戸市を含む5市の「実質的事前了解」を得る仕組み
県、東海村と同等の権利が拡大されたものではない

3月29日、日本原電と東海村および周辺5市(水戸市、日立市、常陸太田市、ひたちなか市、那珂市)は、東海第二発電所にかかる新たな協定書を締結しました。その第6条の「実質的事前了解」では、稼働及び延長運転をしようとするときは、原電と自治体との事前協議により実質的に6市村の事前了解を得る仕組みとされました。

これは、「被害は立地自治体にとどまらない」という原発事故の教訓と住民世論の成果です。しかし、再稼働に必要な対策工事を着工する前に必要な「事前了解」は、現行協定の下で県と東海村に限られており、この権利が5市に拡大されたものではありません。

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