原水爆禁止2016年世界大会・広島への参加報告

小学6年の娘と一緒に世界大会へ

県議会議員 江尻加那

hiroshima-houkoku_01

2016年夏、小学6年の娘とその友達を連れて参加した世界大会は、私にとって3回目の広島でした。

1回目は私自身が小学6年生で父親に連れられて参加。平和資料館のろう人形や、焼け焦げにされた人々の写真が怖くて、夜は「旅館の下に今も骨が埋まっているかもしれない」と眠れなかったことを記憶しています。

2回目は大学2年の二十歳の時。会場一杯の7千人を超える参加者だったと思います。マーシャル諸島やセミパラチンスクで核実験が繰り返され、人間も動物も遺伝子が破壊されて癌に侵され、奇形が生まれている現実に心から怒りが込み上げました。大学に戻って、仲間と一緒に毎月学生寮をまわり、核兵器廃絶署名を開始。1年間で1千筆を集め、翌年の世界大会に参加する後輩に託しました。

そして、今回が3回目。私には3人の子どもがいますが、長男が6年生の時は夫と参加し、今度は娘と私が広島へ。子どもの目に、原爆の恐怖と、今も1万5千発の核兵器が存在する現実がどう映るのか、多くを語らずに見守りました。

1日目は新幹線で広島へ4時間。午後から世界大会開会総会に参加(4,500人参加)。夜は茨城県のみなさんと交流会。

201608171
 
201608172

2日目は分科会で、教職員組合の先生方のガイドによる「似島少年少女のつどい」へ。
広島港(宇品)から船で約10分の似島は、原爆投下当日から1万人超の被爆者が運ばれ、ほとんどの人が亡くなった島です。分科会のあと、路面電車で広島駅に移動して広島焼きを食べ、夕方から広島平和記念資料館へ。
東館が改修中で閉鎖されていたのは残念でしたが、本館をじっくり回りました。オバマ大統領が5月に贈ったメッセージと折り鶴も展示されていました。

201608173 201608174

 
3日目の朝、原爆ドームの近くで平和記念式典会場からの音声に耳を傾け、黙祷。
袋町小学校平和資料館を見学した後、閉会総会へ(参加者5,500人)。
核の傘にしがみついて役割を果たさない日本政府、金融企業から多額の核開発資金が流れている現実、テロ組織が核兵器を手にする危険性―。しかし、世界の多数の国々は核兵器廃絶にむけて共同しています。

4年後、末っ子が6年生になるまでに、被爆者の願いが一歩でも前進できるよう、私も再度、署名を集めます。

報告書(PDF)

国際署名用紙(PDF)
☆取り扱い団体…原水爆禁止日本協議会